On being an Asian woman

April 13th, 2021

自分がAsianだと自覚するようになったのはいつからだろう。日本にいた頃は自分がアジア人だと意識することはなかったように思う。

アジア人女性であること、日本人女性であること。それはどういうことなんだろうと考えてばかりいるけれど、そんな大きな問いの答えは、私がただ考えているだけで見つかるわけがない。大体そのこと自体に意味はないのだ。それでもこうしてアジアを出てヨーロッパで移民として暮らしていると、そこにはどうしたって色んな意味が生まれてくる。

私は誰かにとって初めての、時には最後の、日本人同僚だったり友達だったりする。私一人が日本を代表できるわけではないのに、自分に対するイメージがそのまま日本と日本人に繋がってしまう。それはある程度は仕方がないことで、私だってモルドバ、ラトビア、ブルガリアなど、その国出身の知り合いが一人しかいない国はいくつかあって、それらの国の話を聞いたときにはその人達を思い浮かべるし、聞いたことから国のイメージを作りがちだ。

でも同じ日本人だって私達はこんなに違う。アジアの国それぞれに歴史があって、文化があって、私の日本人の友達と私が違うように、みんなそれぞれ違う。そんなの当たり前だ。だからアジア人女性として括られ、投げかけられる偏見や差別に怒りを感じるのに、アジア人女性のステレオタイプがそのまま自分に当てはまることに困惑してしまう。

自分の意見をはっきり主張するのは苦手。Noときっぱり断るのも苦手。周りの顔色を異様に気にしてしまう。誰かに負担をかけるくらいなら、自分が少し無理したり我慢したりしてやり過ごそうとする。「良い」移民であるように振る舞っている自覚がある。

アメリカで続くアジア人へのヘイトを見る度、何かがぐっと抉られる。私は、そしてきっと移民として暮らす多くのアジア人は、これはアメリカだけの話ではない、他の国でも起こりうることを知っている。アジア系への差別はちっとも他人事ではない、これは私の人生に関わる話だ。

それでもこんな大きな壁に、私一人で立ち向かっていける訳がなくて、同じアジア人と一緒に声を上げていきたい。そのために私がするべきなのは、自国の加害の歴史と向き合うことなのではないか。

私が覚えている限り、受けてきた教育で日本は被害者だった。敗戦国として、戦争がどれだけ辛かったかの話は何度も聞いてきた。でも日本は加害者でもあるのだ。私は日本の加害者としての話を、被害者としての話と同じようには知らない。原爆の投下が、日本の侵略を終わらせたとアジアの国々で捉えられていることについて、私は何も考えてこなかった。

自分の国が犯した罪と向き合わず、その痛みを直視せず、アジア人として他のアジアの国の人々と連帯することなど出来るのだろうか。

私の友達がわざわざ日本へ旅行してHiroshimaへ行くのに、自分は広島に行ったことがないことが恥ずかしく思えて、2017年に初めて訪れた。広島平和記念資料館へ行って、どうしてそう思ったのか上手く言えないけれど、私は加害者としての日本の歴史を学ばなければならないと何より強く思った。

それなのに、そこから本当に学び始めるまで4年も掛かってしまった。アジア人に向けられるヘイトについて考えて、自分がアジア人であることをより意識するようになって、やっと本当に向き合う気になった。

自分が無知であること、いかに多くのことから目を逸らして生きてきたか、向き合う作業は楽しいはずがなく、とにかく暗い気持ちになる。同じ女性としてその痛みがはっきりと伝わってくるのに、その痛みは自分の国が引き起こしたことで、私はそれを無視して生きてきた。それでも私が感じる痛みは、当事者の痛みに比べれば何でもない。私にはそれを引き受ける責任があるし、何よりそうしないとどこへも行ける気がしない。

私が持っていた戦時中の女性のイメージはいつも被害者だった。どうして加害者としてのイメージが私の中にないのか。

自分の国はどうしてこうなってしまったのかという問いの答えもここにあるように思うのだ。失敗を認めること、責任を取ること、他者に対して誠実でいること。長い道のりになる。それでも前に進むためのヒントはここにあると信じて、今はひたすら本を読みたいと思っている。

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